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前田耕平レビュー ―TOKASレジデンス2024 成果発表展―

2023年7月13日午前9時頃、中野新橋駅付近で神田川を遡上する前田。筆者撮影。

シンプルな物理法則に従って、水は高い所から低い所へと流れる。

人はその流れを川と呼ぶ。

アーティストの前田耕平の言葉を借りれば「点の集合が線となり絵となる点描のように、水のある所は全て川になる」。

雨粒が落ちた所、水が湧き出す所、規模の大小や流れの強弱はあれど、水が地と触れ合う点では確かに流れが生まれ、川となる。そうして無数に生まれる川のいくつかは、我々が一般的に川と呼ぶ大きな流れとなり、ヒトを含む生き物の暮らしと大きな関係を持つこととなる。

そして、その流れに逆らって低い所から高い所へと進むことを、人は遡上と呼ぶ。

狭義では、魚が海から川の上流へと向かい遡っていくことを指す。そしてさらに遡上は、アユやサケのように成魚が上流へと至って産卵するケースと、ウナギのように幼魚が海から川に入って長期間生活するケースとに大別できる。

だが、いずれにせよ、その目的は幼魚が成長し、成熟するための期間を与えることにある。


前田耕平が、「トーキョーアーツアンドスペースレジデンス 2024成果発表展『微粒子の呼吸』第1期」(トーキョーアーツアンドスペース本郷、開期:2024年6月29日(土) - 2024年8月4日(日))で展示したのは、《東京遡上》と題する映像を中心とした、遡上がテーマの作品群だ。

トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)は、「クリエーター・イン・レジデンス」と呼ばれるレジデンス・プログラムを2006年から提供しており、前田はその中でも、2023年度の「国内クリエーター制作交流プログラム」の一人に選ばれた。そして、2023年5月から2023年7月の期間、他の参加者と共に墨田区立川のTOKASレジデンシーに滞在し、リサーチ・制作を行った。

2023年度のテーマは、「都市を取り巻くエコロジー」。正に、前田のこれまでの活動とシームレスに繋がるテーマだ。

TOKASのレジデンス・プログラムの特徴は、滞在期間に加えて、TOKASレジデンシーのオープン・スタジオ期間中の中間発表、そしてTOKAS本郷での成果発表展と、二度の発表機会が設定されている点だ。この三段階の構成により、滞在した場に根ざしたリサーチや体験を、より深化した形での成果物として公開することができるようになる。


前田が遡上を実行したのは、2023年7月も半ばに差し掛かろうとする頃だった。千葉県・市川塩浜近くの江戸川河口から、東京都・吉祥寺の井の頭公園まで、約50kmの距離をカヌーで遡上するというほとんど無謀とも言える計画である。

応援も兼ねて前田の様子を見に行った私は、その時のことをこう記している。

「応援のつもりで来たのだけれども、実際の前田くんの姿を目にした僕の行為は、応援というよりは観察だった。」

都市の間を流れる川を、愚直に進む前田(※1)

その野性的で生命感溢れる姿は、「人が築いた都市」と「そこに流れる川を遡上する魚という自然」とを対比するならば、明らかに自然の側にあるように見えた。


「オープン・スタジオ 2023-2024/ 7月」(トーキョーアーツアンドスペースレジデンシー)での展示風景。

撮影:髙橋健治 画像提供:Tokyo Arts and Space


遡上から10日ほど後に開かれたオープン・スタジオの中間発表では、遡上時に撮影した動画を簡単に編集した映像作品とカヌーなどの実際に使用した物が展示されていた。

それはまだ、ほとんどむき出しの記録だった。

元々のコンセプトが興味深いこともあり、遡上の事実だけでもパフォーマンスとしては十分に内容の濃いものではあったのだが、さらにこれを成果発表展で展示する作品として完結させるためにはどうすれば良いのか、私には見当も付かなかった。


「トーキョーアーツアンドスペースレジデンス 2024成果発表展『微粒子の呼吸』第1期」(トーキョーアーツアンドスペース本郷)での展示風景。

撮影:髙橋健治 画像提供:Tokyo Arts and Space


それから約1年後に開催された成果発表展を見た私は、あの記録が、煮詰まり、深まり、強度のある作品になっていることに瞠目した。

展示スペース正面の大きなスクリーンに映し出されるのは、メインとなる映像作品《東京遡上》。そこでは、遡上の記録を編集した映像の随所に、当時の様子を再現してカヌーを漕ぐ前田の姿を映した映像が差し込まれる。ただし、その再現は水も無ければ野外でもない、スタジオのような場所で記録されたものだ(※2)。両者の映像が混在することで、リアルでソリッドな記録だったはずの映像は柔らかくほぐされ、作品はどこかパフォーマティブで、講談や落語のようなおかしみすらある二重性を獲得していた。

さらに展示スペースの奥に進むと、スクリーンのある壁の後ろには、当時使用した麦わら帽子や、出来事を綴った文章、江戸川河口から運んだ海水を井の頭公園で煮詰めて作った塩など、記録的な事物が配置されている。パフォーマティブな要素を盛り込んだ映像の背後を、それがフィクションではなくリアルな事実に基づくものであることを示す、紛れもない証拠が支えているのだ。

エンターテインメント的でありながら、リアリティの追体験であることから解き放ちはしない、巧みな展示空間だった。


さて、以上のような制作プロセスと成果を振り返ってみると、前田にとってのこの1年は、リサーチが作品として完結するのに必要な時間であったのだと実感する。

正に、遡上した魚が上流で成熟するように、東京の川を遡上し井の頭公園へと至った前田の行為と記録は、1年の時を経て、成長し、成熟したのだ。


運んだ海水を井の頭公園で煮詰めて作った塩。「トーキョーアーツアンドスペースレジデンス 2024成果発表展『微粒子の呼吸』第1期」(トーキョーアーツアンドスペース本郷)にて。

撮影:髙橋健治 画像提供:Tokyo Arts and Space


さらにその過程は、作品の重要なピースをなしている塩との関連も想起させる。

3日間にも及ぶ長大な記録を編集して作った30分程の映像作品は、まるで前田が塩の生産地であった市川塩浜近くの海水を運び、井の頭線公園で煮詰めて作った塩の結晶のようではないか。ただの水にしか見えなかった海水から塩の結晶が生まれるように、私にはどのように作品として完結するのか分からなかった記録から見事な作品が生まれた。

じっくりと時間をかけ、濃縮することによって。

また、塩についてさらにミクロな視点で考えてみると、もう一つ興味深いアナロジーに気付く。

体に取り込まれる塩から生じたナトリウムは、自然状態では細胞の中へと流入するのだが、細胞はその機能を保つために自然の流れとは逆方向に(細胞の外へ向かって)ナトリウムを排出していることが知られている。

つまり、遡上と称するにはいささか大げさかもしれないが、塩となる海水と共に川を遡る前田の中でも、流れと逆方向に塩が運ばれていたのだ。

川、遡上、塩…かようにして、《東京遡上》を主とした作品群は複雑なレイヤーをなし、濃厚で深みのある展示空間を作り出したのだった。


2021年に手作りの筏で川を下った(※3)前田は、その2年後、川を遡ってみせた。

次はどこへと向かうのか?

いずれにせよ、これからの前田の進む先が楽しみでならない。

振り返り、そう確信する、この1年の時間だった。



※1 ある程度上流に来ると水深が浅くなり、最早カヌーをこげなくなると、前田はカヌーを引っ張りながら歩いていた。
※2 その様子は《或る川の話》という作品で前田が行っている伝承のパフォーマンスとも通ずる。
※3 2021年に前田は、手作りの筏で京都から桂川、淀川、木津川を下って北加賀屋まで引っ越した。

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